建築と出会う・北海道 旧荒谷邸、築50年の高断熱高気密住宅

 

北海道、築50年の高断熱高気密住宅

北海道札幌市、手稲山のふもと、築50年の高断熱高気密住宅をたずねました。北海道大学の故・荒谷登先生が設計し1979年に建てられた二番目の自邸で、現在は元教え子であるタギさんが住まわれています。雪の降る中、暖かい室内では飼い猫のネズちゃんが床に体を伸ばし、くつろいでいました。

 

日本の断熱住宅の先駆者、「荒谷先生」の挑戦

この住宅は「断熱」をテーマに設計されました。従来の日本の住まいに「断熱」の考え方が抜け落ちていることに着目し、冬暖かく夏涼しい断熱住宅の研究を大きく進めたのが、北海道大学の荒谷先生だったのです。

当時、住まいの断熱気密化に必須とされる建材の大半は、まだ開発途上でした(いかに先進的な取組だったかがわかります)。そこで荒谷先生は、身近なコンクリートブロックや農業用防湿シート(※1)を利用しました。屋外側が断熱された厚いコンクリートブロックは、室内で蓄熱と調湿の働きをします。

主な設備としては、太陽熱集熱器で温水を作る設備や、温水式セントラルヒーティング(※2)などが取り入れられました。当時の北海道における一般住宅の約半分の灯油で、約3倍(100坪)の大きな住宅全体を暖めることができる、とても先進的な省エネルギー住宅です。

※1 防湿シート: 室内で発生する湿気が木造躯体に侵入することを防ぐためのシート(旧荒谷邸は外壁がブロック造外断熱、小屋組みと開口部周りは木造)
※2 温水式セントラルヒーティング: ボイラーで加熱したお湯(不凍液)をパイプで循環させ、建物全体を暖める暖房方式

 

タギさんの薪ストーブ

時は流れ、現在の住まい手であるタギさんはセントラルヒーティング用の灯油ボイラーを停止し、代わりにボイラーのとなりへ薪ストーブを設置されました。約100坪もの住宅全体が、今はなんと1台の薪ストーブで暖められているのです。

▲ 半地下のボイラー室を案内してくださったタギさん。
箱状の白い機械が旧セントラルヒーティング、一番奥に見えるのが薪ストーブ。

冷たい空気は重いため、家中からこの半地下のボイラー室に冷気が集まります。そして、薪ストーブによって暖められ軽くなった空気は、上昇しながら家全体を暖めます。考え抜かれた設計ゆえに、暖房の手段が代わっても成り立つ懐の深さがあるのだと、タギさんがお話してくださいました。

建物がしっかりと断熱されていると、少ないエネルギーで家全体を冷暖房できます。そして50年が経った半世紀後、冷暖房の方法といった暮らしの設備は後から変わったとしても、こうして快適に住まうことができるのですね。

 

未来の住まいにつながってゆく仕事

タギさんによると、荒谷先生は通勤中に自転車を漕ぎながら6か月もの間、この実験的な建築のアイデアをひたすら練り上げ続けたといいます。そして綿密な計算の上に建築された住宅に自ら住まいながら、様々な検証実験を続けました。タギさんに引き継がれた旧荒谷邸には、今も各地から、建築を学ぶ沢山の人が訪れます。

「暖かさは節約するものではない。決して贅沢品ではないです。この家の建築当時は50年近く前のことですから、複層ガラスなんてとんでもない贅沢品だと言われた時代でした。今は普及して、当たり前になっています」とタギさん。

日本に暖かい住宅を造りたい。結露せず、腐らず、永く安心して住める住宅を造りたい。今も昔も、そうした思いを持って取り組まれてきた方々の沢山の研究の上に、今日の私たちの暮らしがあることを感慨深く思いました。

 

暮らすこと、直すこと、遊ぶこと

そしてもう一つ、タギさんの暮らしの価値観がとても楽しく素敵でしたので、最後にご紹介して終わります。

「外壁、配管、電気、窓、建具…すべて自分の手で家を修理します」と、家の様々な作業場やメンテナンス道具も見せてくださったタギさん。

「物は何でもいつか壊れる。住まう人が自分で手入れをし、異変があれば直す。今の時代の物は複雑で、修理ができないものも多い。私はシンプルで、自分で修理できるものを使います。それが私の暮らしです。私はそうやってここで遊んでいるのです」

おまけ
木製玄関ドアを開けると………また木製玄関ドア!
(※当社製品ではありません)

<取材協力>

有限会社タギ建築環境コンサルタント
サデギアン・モハマッド・タギ

株式会社山本亜耕建築設計事務所
https://ako-a.com/

一般社団法人ミライの住宅
https://miraino.org/